昨日、日本の姉にラインをした。
もう少し日本帰国を伸ばしたい。という内容だ。
長い間、この日本帰国延長の伝達をどうするか躊躇していた。そして数か月がたち、ついに年末になった。もうすでに来年を控え、3月には帰る予定ではあった。
この日本帰国は私が打診したものだった。それも、当時しっかりした職が決まらない状況での、日本帰国の決断であった。
日本の実家は、「理容業」である。
54歳になって、新しい技術と資格に臨むことになる。これはこれでいいのだ。新しことにチャレンジしたかった。
今まではただ学生のお世話だけをしてきた。そして、学生は卒業しみな旅立っていった。毎年毎年同じことの繰り返しだ。そのワンパターンにどこか力を失っていた。しかも、ここ外国である韓国の地で。
昨日は戒厳令まで出た。やはり外国なんだと実感した日だった。
それでも、今は日本行きに歯止めがかかっている。なぜか。
一つは今の仕事にけりをつけなければならない。そしてちょうど来年度の入学生数が急増している。私は今の現状から抜けることはできなさそうだ。
しかし、これは「いいわけ」かもしれない。
私がこの大学に赴任して1年もたっていない。その中で辞めてしまうのが、心に引っかかっている。つまり、当初面接では’がんばります’という意欲を見せた。それを学校側も信頼していただろう。
もちろん当時はほんとうにそう思った。でも、面接後、合格通知は一向に来ない。落ちたと思った。
そんなときに、次の手段として、日本行きと家業を手伝うという気持ちになった
。
そして、日本の家族に通告。数か月後そうすることとなった。
しかし
その数週間後に大学から合格通知が来た。
「合格」だった。
とりあえず、一年はすることにして、日本には一年後に帰って家業をすると伝えた。
家族はそれを信じた。
子供はその当時大学1年の短大に通っていた。私が新しい職場の大学に赴任するときは、大学2年に上がるときだ。
しかし、彼女の4年生大学への編入という話しがもちあがった。やはり、大学4年生は出ておかないと。この韓国では学歴社会だというところからだった。
そして妻は、1年で赴任してすぐに大学を辞めるのは道徳的にどうかと、批判を始めはじめた。たしかに言われるとおりである。
しかし、本音は日本に行ってほしくないということだろうか。または、今は専業主婦だから、私が日本に行ってしまえば、収入が減ることを恐れてか。
理由は二つともあると思われる。彼女は当面は私とは日本にはいかないといっている。
実は私の心はこの家族のことが大いに気になっているのが本音だと思う。
今の職である大学を辞めるということ以上に、子供の4年制への編入が大いに気になっているのだろう。そして大学編入となれば、学費もかかる。
これが私のネックだった。あと数年は、子供の大学進学と学費にあった。さらに家族を残していけるのかということでもあった。
しかし
いつかは日本に帰る。これは変わらないと思う。変わらない。それならば「いつ」か。
これが問題だ。今かそれとも数年後か。
時期を、時を逃していないのか。
日本の家族には「数年」延長と伝えた。
そして
大目玉を食らった。
もう私とはなんら関係はもたないとまで言われた。
でもこの時期に本音を言ってよかったのだ。
これからがほんというの人生が始まる。
私はここから再出発をする。
何とか自分の人生を作り上げていかなけらばならない。
これが人生だ。