韓国での職場と生活
今私は韓国の大学で日本語を教えている。タイトルはとりあえず副教授だ。
副教授と言っても、正教授とはことなり、2年ごとの契約で、60歳までが上限となる。それ以降はまた、延長となるかどうかは、学校の経営と私の評価次第でもある。
一応60歳が定年だ。
待遇はそれほどは悪くない。生活はやっていける。裕福ではないが。
しかし、最近韓国の生活に耐えがたい思いを持つようになってきた。
一つが研究室である。研究室の隣が学生の集まる部屋となっていて、とにかくうるさい。
これには大学側にはも部屋を変えてもらいたいと訴えてはいるが、なかなか受け入れてもらえない。学生の部屋の移動も提案しているが、それもいろいろな理由で拒否されている。
学生の反発があるということを大学側は恐れているようにも思える。
とにかく職場の環境にうんざりしている。
多くの学生の前で教えるということも、私にはそれほど合っていなということはわかっている。
しかし、これも生活と家族を養っていくためとわりきっていて、私には単なる労働でしかない。つまり韓国で生き抜くために手段である。
当初はひとり研究がしたく、この高等教育の世界に入ったが、ほとんどがやることは教育だった。
私は韓国で大学教授となり、すでに20年がたとうとしている。今まで2か所転々として、今いるところは3か所目の大学だ。
大学に当初来たときは、落ち着いて研究でもしたと思っていた。しかし、研究室に入って驚いた。隣の学生の声が筒抜けだった。
私はやや音に敏感だということは自覚はしている。韓国で一番病んでいるのはこの「おと」だ。電車の中やカフェでもとにかく「うるさい」。と思っている。(私だけかもしれないが)
もう一つ騒音という観点で長い間苦しんでいるのは、家の騒音だ。上階の騒音。これは数年隣人との間で葛藤している問題である。これに関してはすでに引っ越すということでしか方法がないことを思い、いづれ近いうちに引っ越すことにはなっている。
しぶしぶ引っ越すことを選んだ。
結局現在
韓国の生活で私を苦しめているのは、この二つの件だ。いづれも「騒音」にまつわるものである。
この韓国の生活は20以上となった。子供はいま大学に通っている。もう成人だ。
そろそろ日本帰国を考えるようになった。それをいつどのようにするか。
今、私の人生の大きな岐路に差し掛かっている。海外生活をしていて、このように帰国を考えいてる人は多いと思っている。
日本帰国を考える
日本の帰国を真剣に考えるようになった。今ではなく以前からもその思いはあった。
ためらいがあるのは、一つは家族で、もう一つは日本に行ってからの仕事となる。
私の家内は韓国人であるが、日本には行かないといっている。彼女の年齢から考えると、この歳で異国に行くことは難しいと判断してのことだろう。
子どもは日本のことは好きだが、生活となるとやはりためらうことは多いと思う。
そうなると、私が一人まず日本行きとなることは目に見えている。単身で日本行きだ。
ただ、現在子供は大学に通っているために、学費の件もあり、すぐには日本帰国とはできないところもある。卒業までは数年かかる。
日本の実家は理容院だ。ここを経営しているのは叔父と姉。一番現実的なのはこの理容院を継ぐという選択肢なのだ。日本の家族もそれをある程度期待しているところがある。
母は健在であるが、もう高齢者。やはり、今ここでそばにいてあげてたいとう気持ちがある。
日本の家族にとってみれば、私が日本へ帰国することはウェルカムなのだ。
そして
もし理容院を継ぐとなると、通信の学校に3年通い、理容の資格を取る必要がある。これは働きながらとれるから、収入の面は気にしなくていい。
一(いち)から理容の技術をまなんでいくこととなる。
これが現在一番現実的で、もし日本帰国となると、それが「いつ」なのかということだ。
来年か、それとも1年後か2年後か。そうなると早期退職という選択肢だ。
今のところは子供の大学卒業を待って、日本帰国が適当な時期と思っている。
これからのこと
ただ、理容という選択肢以外となると、
ひとりで起業するか、
再就職をするかとなる。
起業するといっても、今何かプランがあるわけではない。しかし、私は組織にいるよりは、ひとりで何事も取り組んでいくタイプであることはわかっている。
自分の特性、性格、などを考慮すると「ひとりでする」仕事に向いている。
今までやってきた「日本語」をオンラインで教えるという手もある。
また、このようにブログや書籍を書くということも私の特性にあっている。
だから今も書いているのだが。「書くこと」が好きだ。
それ以外は再就職だろう。50歳の再就職は簡単ではないことはわかっている。
しかし、もう一度まず日本の社会で働いてみるという選択肢も悪くはないのではと考えている。
50歳の再就職だ。
とにかく今は日本への帰国を考慮にいれながら、何をすれば「生きがい」につながるのかを模索している。
今、この大きな「岐路」をどう選択していくか。毎朝早起きして、散歩をしながら考えている。
55歳を私は今頑張って生きている。