50歳からは「書く」ことから始まる。韓国作家ハンガン(韓江)さんのノーベル文学賞受賞の快挙と我々の生き方。

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さて、昨日韓国のノーベル文学賞受賞に韓国の女性作家であるハンガン(韓江)さんの受賞報道があった。韓国では毎年ノーベル文学賞に注目が集まっていたが、今年は若い女性の作家さんが受賞した。実は韓国は文系離れが深刻化していて、大学でも文系の学科がなくなってきている。

そんな中、この受賞は韓国だけでなく日本の文系志望者に希望を与えてくれるかもしれない。

いや若者だけでない。私を含めた50代の中高年にも希望を与えてくれるのではないか。今日は「書くこと」のすすめということで記事を読んでいただければ幸いだ。

50代だからこそ、「書くこと」をする。今までの経験や知識を総動員して、書いてみる。書くのもパソコンに打ち込むよりも、ペンと紙で書いみてみること。私は実際にペンで書いている。そして、朝早く起きて書くようになってから、かなりスムーズに書けるようになった。時間の制約もあり、仕事もあるから、それほどたくさんは書けないが、書くよろこびはある。

特に朝は書ける。移動中の列車の中でも書いたりできる。通勤中の列車にテーブルがあるからだ。

50歳となると、今更作家活動などと思われるかもしれない。でも、50歳だからこそ、書けることはある。50歳は早くもないが、遅くもない。そして、書くことが幸福度につながるかもしれない。

私のふと適性を考えた。私は大学で教えているのだが、教えることは学生への奉仕でしかない。文化的側面はそれほど期待できない。つまり創造性は欠ける。多くの学生をまんべんなくわかりやすいようにするために教育の工夫をすることは考えられる。しかし、学力が不足する学生にも教えるには、忍耐と愛情が必要だ。そして常に人のために気を遣うことでしかない。

これも高尚ですばらしい聖職といえるかもしれない。

しかし、私の適正には合っていない。私はどちらかというと、一人で研究し本を読み、そして書くという文化的な行為だ。これは長年私を洞察してわかったことだ。それでも仕事は仕事としてこなしている。それは生活のためということと同時に、人のために生きることも価値があるからと思っているからだ。学生のために、そして日韓の交流のために、自分の存在価値があることがわかるからだ。

自分の世界を失わずに生きていくために、朝や週末は書いたり読んだりそして史跡を見学したりする。二足のわらじでいいと思う。いや副業で作家活動はどうだろうか。

私がすすめたいのは、ペンで「書くこと」である。活字を書くこと。紙にどんどん書く。これによって自分の考えが整理されたり、理論的にものごとを考えるくせもつく。さらに、自らが「文芸活動」しているという快感を覚えたりもする。

そして書くためにも、他の本や資料を見ることもする。さらに古典にも手を付ける。新聞や雑誌もいいだろう。それはインプットだけで読んでいる受動的なものではないからだ。アウトプットのための一つの手段だ。

売れなくてもいい。出版はできればいいが、それだけのために書くことはない。今までの人生を振り返って、それを自分の人生に価値をもつことだ。無駄な人生はないはずだ。

今私は転職を考えている。日本帰国も視野にしている。どんな職につくかはわからない。でも、「書く」という行為や営みは続けたい。

活字離れや本離れが久しい。それに逆行するようだが、私は紙の本を愛したい。そして、原稿用紙に書くことをしたい。

書くことのためには、メモをしたり、ガイドラインを書いたり、見聞したりとする。

50代の趣味や副業の一つとして書くことを勧めたい。

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