【50代のしあわせ】早起きと自然観察スケッチで見つけた小さな幸せ。私の新しい些細な日常。

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私が最近取り入れたルーティンを紹介し、それを共有したく記事を書いた。すべての人がこれに当てはまるということはないと思う。ただ、大それたことではないが、取り入れてみて生活に少しではあるが、もしかして満足していただけるのではと思いここに紹介する。

早起き

まずは早起きがきっかけだった。私は以前からそれでも早く起きる方であった。

昨年から職場が変わり、2時間かけての通勤のためにか、早く起きなければならなくなった。

以前は6時か7時ごろに起床をしていた。

起床して30分は英語の勉強そして30分は散歩に出かけるという朝だった。

しかし、7時半には出勤しなければならないこととなり、6時前には起床しなければならない。

ならば、もっと早く起きようと、5時前にアラームをセットするようになった。

何度か起床できず失敗しながら、今度は早く寝るように心がけた。10時には歯を磨き、寝る準備をすると決める。

そうすると、早く起きれるようになった。時には4時に目が覚めることもあった。

早速、起床についての本を読み始めた。早起きがどれほどの効果を生むのかという類のもの。

そこには単なる成功できるといった「自己啓発」だけのものではなく、人の脳や精神、健康に及ぼすよい影響まで書かれていた。

早朝起床を実践しながらこれらの「早起き」の本を読み続けた。結局これもいいモチベーションになったようだ。そこから朝の時間が「読書」をするのに最適だとわかった。

早起きの読書

そして朝に「読書」を始めることとなる。

朝起床してまず瞑想をする。これも新しく取り入れた。すぐには起きずゆったりした時間を過ごす。

次に洗顔をし、水を一杯飲む。

その後ラジオ体操とストレッチ。これは以前からもやっていた。

それから机に向かう。では何を読んでいるのか。

これも最近手に入れたものなのであるが、人文系の「教養書」である。

難しいものではない。

つまり、文学作品、哲学、歴史上の人物といったことがページごとに書かれてあるものだ。

一つの文学作品を読むのではない。これを読むとなるとかなり時間がかかる。

それはそれで続けて読むのもいいであろう。

私は今までは、文学作品を読むのは省略されたり、要約されてはその文学の内容をしっかり干渉できない邪道であると思ってきた。

しかし、今回手にした教養本は、作品や作家について簡単にまとめられてある。私は読みながら初めて知った作品が多かった。中には名前だけ聞いたことがあっても、知らないものばかりだ。

そしてそれを読み、さらにもっとそのことを知りたければネットで検索する。

そうすると本ではわからなかったことがわかったり気づいたりする。

例えば今日はフランスの作家マルセル・ブルーストの作品『失われたときを求めて』だ。

どこかで聞いたような気がしていたが、内容はほとんど知らなかった。

それをたった1ページにまとめられている。本当はものすごい長い長編ものだ。

これは正直買っても読めないだろう。

それでも細かいところは抜きにして、この作品が語り掛けている本質は理解できたようで、自分の人生に知恵を与えてくれた気がした。

非常に満足感があった。幸せな気分になった。

私は最近人生で大きな事だけが幸せにつながることではないと思い始めていた。

日々の小さな事柄、午後にコーヒーを飲んだり、散歩をしたり、ぼんやりしながら自然を見ること。これも幸せであり、後々に自分の記憶に残っていく。ことを知った。不思議なものだ。

たいして重大なことではないけど、小さいころの思い出とは、そんな些細なことだった。

駐車場で遊んだこと、母がおもちゃを買ってきてくれたこと。転んで擦り傷を負ったこと。夕日を見ながら帰宅したこと。を覚えている。

でもそれらが自分にとって大切な場面であった。

50歳になって、日々の生活の他愛のないことも大切にしなければならない。

だから、朝の時間を貴重に過ごすことを思い立った。その時間を大切に使う。

そうすると、一日の一コマ一コマを大切にするように心がけるようになっていた。

そして、時にはぼんやり休むこともするようになった。

以前はこんことは時間の無駄だと思っていたが。

読者さんはどうであろうか。

さて

その教養の文学書を読み終えると、次に世界の「神話」を読む。

これも内容が簡潔にまとめられているものだ。

「神話」を読んで生活に役立つかといわれても、何とも答えようがない。

でも、神話を読んでみたかった。今は日本の神話をじっくり読んでいる。これは要約ではなく、一字一字しっかり『古事記』と『日本書紀』を読んでいる。

日本人として知らなかったことが多く恥ずかしい気持ちにはなっている。

とにかく世界には『日本神話』のように多くの神話が語り継がれてきた。

やや空想の世界は多いが、それはそれで空想してみる楽しさがある。

自然観察スケッチ

さて、次に取り入れたのが、スケッチだ。

以前からも水彩画を描いていた。しかし、うまく描かなければといった、プレッシャーのようなものがあり、また大きな紙にしっかり描こうという既成概念みたいなものに囚われていた。

しかし、ある動画と書籍をきっかけに、身近なものを、自然を描くことを知るようになった。

ここではうまく描くことは二の次であった。自分が見たことをそのまま描く。

特に自然を描くということ。

見た通りに描いていく。それでいいのだ。

しかも大きな紙に何時間もかけて描くことはない。小さな手帳サイズにでも描いていく。

歩きながら気入った場所や植物があれば、その手帳に描いてみるという作業だ。

手帳だから場所を取ることもない。ポケットから出して、ペンや鉛筆で描いていく。

今は秋から冬だから外で描くのは難しいが、秋に拾ったおいた落ち葉を家で描いている。

そして簡単に色をつけている。これでも心の満足度は高い。

今はスマホですぐに景色や自然を撮るこができる。

じっくり観察することは少なくなった。

だから、時にはスケッチをしてみる。写真で取るのとは違う。

短い時間を自然を観察するということに時間を使う。

大きなことではない。芸術家ではない。かもしれないが、ここにも先の読書と同じように、わずかな幸せがある。

移住先を考える

ぼんやりしながら今日はふと今後の住まいを考えた。

今は韓国にいるが、いづれ日本へ帰国予定。

ではどこに住みたいか。ということになると、生まれ育った東京か。

東京もいい。しかし、郊外は静かなようで、米軍の基地があったりするとけっこう騒音問題がある。

以前関西の旅に出たときに立ち寄った、松阪と伊勢。特に松阪は記憶が深く残っている。

今回1月にまた訪れるのだが、「三重」はどうかと思った。

新幹線、空港はないけど、名古屋や大阪には行ける。

大都市ではないけど、山と海がある。

ここにどこか惹かれるものがあった。

これからどうやって生きていくか、何をするのか、そしてどこに住むのか。

こんなことを考えながら、どこに住むのか。これも非常に大切だ。

今まで考えたことがなかったが、ふと「ひらめき」で「三重県」が頭に浮かんだ。

みなさんもそんな移住の思いがふと頭に浮かんだ経験はないでしょうか。

ただこんな経験をするのも

朝早く起きていたこと、自然を観察すること

という些細な新たな行動から、自分のこころが動かされているとも思える。

「こころ」の底にある「本当の自分」に問いかけながら過ごしていたい。

明日も早く起きて、読書をする。

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