【伊豆の旅】50代からのゆったり熱海散策:大正ロマン漂う起雲閣を訪ねて。文豪の愛した部屋。

旅の記録

さて今回の伊豆の旅は下田から熱海に行き、そこから三島へ移動。三島駅から修善寺へと向かうコースだ。三日目は熱川から熱海への移動し、熱海での一泊。

熱海は50代以降のシニア世代にはぴったりな観光地ではなかいと思う。その理由の一つとしてそれほど移動しなくても駅周辺にお店や商店が揃っているからだ。駅構内には「ラスカ熱海」なるショッピングモール、お土産屋、食堂、カフェがある。ここで疲れた旅を癒したり、少しカフェで休憩したり、お土産を選んだりもできる。私は成城石井でお弁当を買い、二階のカフェでくつろいだ。

ラスカ熱海

営業時間:ショッピング 9:00~19:00 レストラン、カフェ 11:00~21:00

さらに、駅前はアーケードのある「仲見世」と「平和通り」という商店街がある。商店街は昭和30年ごろ作られ、長い間営業している老舗のお店が多く、熱海の歴史を感じさせる通りだ。この商店街はそれほど距離はない。ゆっくり歩きながらショッピングや見学ができそうだ。

かず
かず

食べ歩きができるお店も多い。

早朝の散策

ホテルは熱川に引き続き同じ系列の「伊藤園ホテル熱海館」をとった。駅から徒歩で10分もしない商店街の中にあるアクセスのよい場所にある。夕方は駅周辺や駅構内の「ラスカ熱海」を散策。そこで私は夕食用の弁当を購入。安上がりだ。

ホテルの部屋で夕食を済まし、温泉に入った後、カラオケを予約しようとしたが、すべて満席だった。そこでスタッフさんが団体で使用できるカラオケルームを案内してくれた。大きな団体用のルームでそこで一人カラオケを十分に楽しむことができた。

海外にいる私はこのカラオケが日本滞在の楽しみの一つとなっている。もちろん韓国にもカラオケはあるが、日本の曲をすべて網羅しているわけではないから、歌いたい曲はそれほどないのだ。とにかく無料で1時間以上、場所を一人で独占して歌うことができたことは意外な旅のプレゼントとなった。

かず
かず

カラオケルームが満席なら団体用のルームが開いていないか尋ねてみよう!そこは時間制限はない。ただほかのお客が使いたいとなれば、一緒に使うことになる。それも旅の面白いところかもしれない。見ず知らずの人とカラオケをする。

起雲閣までの散策

さて次の朝、お風呂と朝食を済ました。ここはチェックアウトが11時までだから、その間観光ができる。午前の観光場所は「起雲閣」だ。1919年、大正8年に建てられた別荘である。1947年に「熱海館」として熱海を代表する宿泊所に変わった屋敷。

ここでは名だたる多くの文豪たちも宿泊し、名作がここから生まれることとなる。ちなみに現在は熱海指定文化財となっている。

■開館時間:午前9時~午後5時まで(入館は4時30分まで)

■休館日:水曜日

■入館料 大人610円 高校中学生360円 小学生以下は無料 (20人以上は団体割引あり)

■熱海駅から徒歩で20分

■連絡:0557₋86₋3101
https://kiunkaku.jp/

私はホテルから徒歩で起雲閣に向かった。20分ほどだったと思う。散歩を兼ねた見学と思えば適当な散策となるだろう。行きは下り坂で、帰りは上り坂だった。適度な散歩道だ。帰りは熱海の海岸を通る方法もある。

熱海城が見える海岸沿い

起雲閣を見学

さていよいよ「起雲閣」の門がみえる。通り沿いにあって少しわかりにくいかもしれないが、大きな屋敷だと思えばすぐに見つかるであろう。

入り口から入り、入館料を払う。すると一階の大鳳なる部屋に案内される。最初は解説の人がこの屋敷の成り立ちや構造などを説明してくれる。入館料を払っているとはいえ、丁寧でわかりやすい案内はありがたかった。

最初は大正8年(1919年)に政財界で活躍した海運王とも呼ばれている内田信也により建てられた。それは彼の母の養護のためにも建てられたということで、非常にきめ細かく母が過ごしやすいように、かつ怪我をしないような部屋の作りになっている。そして見どころは大正ガラスで、外が波打つようなゆらゆらとして映るような窓であった。

壁の色は群青色ということで、この色もこの屋敷を特徴立てている。大正時代の人の趣向感覚が感じられる色かもしれない。群青と言えば「海」を連想してのことだろうか。

「館」の所有者一代目の内田氏の母親が躓いてケガなどしないように、段差のない構造となっている。

次に二階に上がる。ここは太宰治が宿泊したとのことだ。太宰はここであの「人間失格」を執筆した。熱海や伊豆には作品を生み出すエネルギーみたいなものがあるのだ。韓国でも「人間失格」は翻訳され有名だ。

次の部屋に進むと、今度は和洋折衷の部屋が見えてくる。ステンドグラスやタイルが敷かれている部屋である。これはこの屋敷を大きくした鉄道王であった根津嘉一郎(東武鉄道社長)によって建てられた洋館である。1932年(昭和2年)建造で洋館だけでなく、神社、寺、中国的装飾などが織り交ざったデザインがみどころ。

部屋の名前は玉姫といい、中世のイギリスのチューダー様式を用いた空間や装飾で彩られている。

生活の空間と言うより、何か和洋折衷を建築美術に活かそうとする努力が垣間見える。世界や自然を縮小したデザインを考えたのであろうか。根津氏は茶道をしていたというからその哲学的な要素も取り入れていたかもしれない。

次は金剛なる部屋があらわれる。ここも根津嘉一郎によって建てられた洋館。この部屋の特徴はローマ風の浴室だ。お湯が下から湧き出てくる構造らしい。

とにかく当時の栄華を誇った生活ぶりがうかがわれる。また庭には大きな重さ20トンあるカグラ石がある。それは庭師20人そして根津も一緒になって運んだものだ。山梨県出身で茶人の彼は非常に庭作りが好きで、この屋敷の庭作りに没頭していた。

日本人はやはり庭を造る。大自然を縮小してそれを鑑賞することを喜びとする傾向があるようだ。そして洋館にみる当時の日本人の趣向を垣間見ることができる。

文豪の愛した部屋

さてそこから道なりに部屋を見学すると、この屋敷が宿泊施設として運営されていた当時、文豪が宿泊していたことを今に伝える。これは古典文学、近代文学の好きな人やシニアの世代にはたまらない展示と部屋かもいしれない。

山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、尾崎紅葉などといった日本を代表する文豪たちだ。とにかくこれらの文豪の泊まった部屋を見ただけでも、起雲閣に来た甲斐はあるし、また熱海に来たという意味を感じると思われる。

文豪がどうしてこの地をこよなく愛したのか。そしてそこから多くの名作が生まれている。何が彼らをそうさせたのか。私はまだ残った旅行の日程であった、三嶋神宮、修善寺、天城峠などをゆっくり旅しながら考えたいと思った。ショークスピアノ作品翻訳で知られる坪内逍遥もこの熱海で15年間過ごしたそうだ。

私は人生を半ば生きた人にとって伊豆や熱海は、自分の人生を振り返ることができる、風土がある気がしてならなかった。

坪内逍遥が熱海で過ごした15年間を展示。

熱海と言えば観光地。でも近代の日本を知ることのできる場所として、歴史、日本を知るための場所としては格好の場所かと思う。伊豆の旅はこれからも続く。

<日本発見>
「起雲閣」は熱海に来たら寄るべきだと思う。特に大正、昭和初期の時代。日本人がどのような思い出この国を作り、そして生きたか。それを肌で実感できる。
また日本の文豪が活躍した時代にも触れることができる。どうしてこの熱海を好んだのか。文豪の作品がこの地から生まれることの意味は何かを思索できる。
それは自分自身の発見にもつながるゆったりとした「旅」の時間になること間違いない。
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